トロントの乳ガンの研究室でラボマネージャをしているママがえるの子育て日記


by kokaeru2
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カテゴリ:クリスチャン( 7 )

母教会訪問

早速、教会の礼拝へ。
家からバスで一本。このバスの時間が丁度いいので、爺かえるに送迎を頼まなくていいのがいい。
教会学校の校長先生には、あらかじめ連絡していたので、入り口で待っていてくれました。ちびかえるは小学校一年生だけど、小学生のクラスがいいか、ちびちびかえるが一人で幼稚科にいられるか、未知数だったので、校長先生にクラス分けをお願いしました。教会学校に行けても3回。あまり無理しない程度に、楽しい思い出が作れたら、それで十分。
子かえるたちは、無事に教会学校で過ごせているようで、礼拝中、お呼び出しがかからなかった。パパがえるもいないから、礼拝後、ゆっくり友達としゃべれて、楽しかった。母教会を去ってもう9年。でも、帰れる場所があるのが嬉しい。来年もよろしくお願いします。
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by kokaeru2 | 2008-06-29 04:58 | クリスチャン

二股は無理でした。


トロントに来てからの教会探し。中国人の英語での礼拝と、日系人の日本語の礼拝。どちらにしようか。去年までは二つの教会に交代で行っていた。
二つの教会に行っていると、どっちつかずのような気がして、あまり居心地がよくなかった。ママがえるの性には合わない。
日本語の教会は、会堂建設のため、他の教会を間借りしていて、午後から礼拝。すると、午前中に、友達と一緒に子かえるたちはスケートに行くことができた。礼拝もスケートも両方できた。一方、英語礼拝に行こうとすると、スケートを諦めなければいけない。
年が明けて、日曜日にスケートのレッスンを取ることにした。すると、英語礼拝が終わって、直ぐに帰れば十分間に合う。また、子かえるたちも、だんだん、英語の教会の方が好きになっていった。それに、ママがえるも、英語礼拝の方が気に入っていた。英語で礼拝を理解するのは、たまに難しさも感じるが、それでも、英語礼拝の牧師先生の話は、日々の生活に密着した話で、心の中にすんなりはいるのだ。日本語の礼拝は、ママがえるには合わなかったのだと思う。
そんなわけで、今年から英語礼拝に行くことの決めた。周りは中国人ばかりだけど、ママがえるは、何となく中国人とは馬が合うみたい。子かえるたちも教会学校でお友達もできるだろう。
そんなこともあって、今年から、英語の聖書も読み始めた。1年間で通読できるチャートをもらったが、とても1年で読めると思えないので、2年で読めるように、と思っている。わからない単語があっても、すっ飛ばしてます。
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by kokaeru2 | 2008-01-29 03:27 | クリスチャン

ちびかえるの祈り

ママがえるは、クリスチャンだけど、あまり、子供のクリスチャン教育ってやっていない。あまり威張れることじゃないんだけどね。
そんなわけで、ママがえるは、ちびかえるに、お祈りの仕方、なんて教えたことがない。教会学校で、教えてもらったかもしれないけれど。
でも、子供は神様のことがわかるのでしょうかね。聖書でも、子供のような心がなければ、神の国に入れない、と言っていますから。
先日、学校から帰るとき、雲行きが怪しかった。いつ雨が降り出すだろうか、という感じ。雨よ、降ってくれるなよ、ママがえるも願った。すると、ちびかえるが、「神様、家に帰るまで、雨が降らないようにしてください。」なんて、祈り出すのだ。それで、家に帰るまで雨には降られなかった。そんなことが2回あった。神様は、ちびかえるの祈りを聞いてくれたんだなあ。ちびかえるも、神様が祈りを聞いている、と実感してくれたらいいなあ。
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by kokaeru2 | 2007-09-14 10:06 | クリスチャン

ピクニック礼拝

先週の日曜日は、ピクニック礼拝で、Caledonなんて街まで行ってきました。トロントから約一時間ぐらい、と聞いていた。ちょっと、遅刻するくらいかな、と思っていたら、想像以上に遠くて、周りには何もなくて、ピクニック会場に着いたら、礼拝が終わっていました・・・ピクニックに参加するだけでも、意義がある?!と開き直っていた、ママがえるです。
この一ヶ月は、日系福音教会の礼拝に集っています。この教会は、日本語部と英語部があって、それぞれに牧師先生がいます。通常の礼拝ですと、それぞれ礼拝を捧げ、礼拝後、一緒にお茶菓子(refreshment)をいただいています。世話にうるさい子かえるたちがいるので、あまり教会の方とお話しするときがない。ましてや、英語部の方なんて、誰が誰やら。
それが、ピクニックには、パパがえるも一緒に来てくれたので、ママがえるも少しは余裕もあり、初めて、英語部の方をもお話をしました。彼女は日系3世の方で、日本語は全然しゃべれないそうです。彼女の両親は、彼女にあまり日本語を強制しなかったので、今になって、日本語を勉強しても大変だわ、とても100個の漢字なんて覚えられない、と彼女はぼやいていました。日系3世にもなると、あまり日本語がしゃべれる人は少ないそうです。2世の若者は、しゃべれる人もいるわよ、と教えてくれました。英語部に集っている方を見ると、年齢層が広いなあ、と思うわけです。上は、おじいちゃん、おばあちゃん。下は、子供たち。そして、若者が多い。特に中高生だそうです。彼女によると、礼拝出席者の半分ぐらいが、中高生とか。
ボストンで、日系の人口が多くなく、ママがえるが日系の方に出会わなかったからだと思うのですが、トロントでは、日系、日本人であることを誇りに思っている人の割合が多いような気がします。7月に行われた、夏祭りにしろ、この教会の英語部でも、補習校以外で日本人がこんなにも集まるなんて。アメリカでは、祖国を捨ててアメリカ人にならなければ生き残れない、と無言のプレッシャーみたいなものをママがえるは感じていたのかも。だから、余計に日系の方の集会が新鮮に感じるのかもしれません。
そして、日系のクリスチャンの人たちの信仰が次の世代に受け継がれているのも、すごいなあ、と思いました。

ピクニックは、ポトラックでいろいろな料理が楽しめました。そして、ちびちびかえるは、たくさんチョコチップクッキーを食べれて、大喜び。こんな時しか、食べられないもんね。ご飯が終わってから、子かえるたちとパパがえるは、「野球」をしていました。「野球」といっても、プラスチックのバットとボールで遊んでいるんですけど。ちびかえるが、野球に興味を持ってきました。やっと、人並みなものに、興味を持つようになってきてくれたかしら???
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by kokaeru2 | 2007-09-02 13:14 | クリスチャン

教会探し

新しい土地へ引っ越しをすると、ママがえるがしなければならないことの一つが、教会探し。クリスチャンじゃない人から見たら、どれも同じじゃないか、と思うかもしれないが、教会だって、個性があります。教派の違いもまりますが、好みもあります。ママがえるの日本の母教会は単立の教会なので、教派の縛りがないので、自由に探せる反面、縛りがないから、どこから探していいのかわからない。また、海外と言うこともあって、日本語教会にするか、英語の教会にするか、と言う選択肢も増えてしまったりもする。ママがえる一人の好みだけで決められないのも、ママがえるが頭を抱える理由である。
ママがえるが最初にチャレンジした教会は、ママがえるの母教会の牧師に紹介してもらった英語の教会。それもチャイニーズの。この教会は大きくて、マンダリン(北京語)、広東語、英語で礼拝をしている。もちろん、ママがえるは英語の礼拝しか出席したことがない。礼拝の進め方が、ママがえるの母教会に似ているのだ。また、牧師先生のメッセージも理解できる。それに、若い人たちが多い。子かえるたちのことを考えると、若い人たちが多いということは、ユース伝道にも力を入れているからだと思う。その証拠に、子供たちのための牧師もいる。とてもリソースが整っている感じ。ただね、やっぱり、周りがみんな中国人なので、マイノリティーのかえる家は、ちょっと中に入りにくい感じもする。奉仕・交わり、と言うことを考えると・・・
次に訪れたのが、日本語教会。トロントには、いくつか日本人教会があります。ママがえるが行ってみたのは、トロント日系福音教会。この教会は、日本語と英語の礼拝がそれぞれあります。日本語なので、親しみを持てるのも事実です。それなのに、まだ、日本語の礼拝の牧師先生のメッセージが聞けていない。(たまたま礼拝に出席するときに限り、メッセージが別の人なんだな。)英語の礼拝の方が、人が多いし、若い人も多い。なので、英語の礼拝にも出てみたい。
もうしばらく、いろいろな教会を放浪することになると思う。ほんとうは一つの教会に専念した方がいいのだろう、と思うけど、日本語と英語の両方の礼拝に出席したい、と言う気持ちもある。どうしたものだろうか?神様、わかるように教えてください。
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by kokaeru2 | 2007-08-19 23:26 | クリスチャン
クリスチャンのママがえるが、心の整理に書いたので、神様を知らない方たちには、意味不明なところも多いと思います。クリスチャンのママがえるの、神様との関わり方の一面と思って、お読みください。
ママがえるがポスドクの仕事を探すのに気後れしている理由は、失敗するのを避けているようです。(と言いながら、もう早速不採用通事もらったけど。)失敗を避けてたら、前に進めないのもわかるんだけど・・・この年で、まだまだ就職活動、と言うのも情けない。そろそろ安定した生活をしたいのに・・・ポスドクを選んだ時点で覚悟していたはずだけど、やっぱり、つらいです。失敗することによって、人格否定を感じてしまうんだわ。ママがえるの被害妄想なのかもしれないけど。ますます、自信がなくなっていく。
それに、ママがえるはクリスチャンなので、いろいろな場面で、神様が出てくる。自分のしたいことがうまくいかないと、神様の御心じゃないのか、とか、祈りが足りなかったんじゃないか、とか自分の罪が残っていたのではないか、とか、「自分が悪かった」と言う自己否定の方向に走りがちなんです。そんなことないんだ、と頭ではわかっているんですが、感情がついていかない。なおかつ、うまくいかなかったことに関して、分析し、原因を突き止められないと、誰かのせいにしないと、気が済まない。
その一方で、棚ぼた式に自分にとって都合のいいことが落ちてこないかなあ・・・と神様に期待してみたり。そして、神様が、ママがえるのために、最善策を用意してくださっている、と言う約束を信じなきゃ、と自分で強制している時点で、信じていないのかなあ・・・と思ったり。職探しでも、自分の都合のいいシナリオを作って、神様、それに合わせてくださいね、と神様が中心ではないく、自分が中心になっていたり。トロントに来て以来、ママがえるは、(たった)2カ所に応募して、一カ所は返事なし。もう一カ所は、パパがえるのコネで、面接まで行ったけど、不採用。もし、ここで採用になれば、ママがえるは、きっと、自分の考えた都合のいいシナリオに神様を参加させて、神様のなさることなさることはすばらしい!なんて、言っていたでしょう。本末転倒。だから、ママがえるの置かれている状況に満足できないし、神様に感謝できない。
ママがえるが研究職という職業を選んだとき、クリスチャンとして、思ったことがある。この仕事を通して、神様の栄光が表せますように、神様の働きのために、ママがえるを用いてください、と。壮大な思いを抱いたのはいいけれど、現実は簡単ではない。今では、その研究職を続けることすら、危ういのであるから。自己否定的に考えれば、神様はママがえるを見放した?楽観的に考えれば、神様は、ママがえるに違う道を示そうとしている?もう一歩下がって、ママがえる中心でなく、神様を中心に視点を変えてみると、神様はどうしたら喜ばれるのか?
ボストンに移った最初の4年半、ママがえるは御言葉から離れていました。礼拝に出席しても、結局、子かえるたちのナーサリーについて行って、メッセージは全然聞けなかった。ボストン日本語キリスト教会に行けるようになって、少しずつ、御言葉に戻り、神様の恵みに戻ってきていると思う。神様の恵みの中にいると何が違うのか。心に平安がある。ネガティブサイクルに陥らない。つらい状況の中でも、元気でいられる。それは、全知全能なる神の支えがあるから。ママがえるの就職活動も、気が重い、のが正直なところ。でも、聖書の御言葉の約束を思い起こすと、元気が涌いてくるのも事実です。自分が中心になっていると、出来ないことばかり。最近のママがえるは、自分中心だった。8月中にママがえるの仕事が決まって、9月の新学期から備えたい、と言う思いがある。不採用をもらったラボには、ママがえるの自己中心的に考えれば残念だけど、きっと行かない方がよかったんだと思う。負け惜しみに聞こえるかもしれにけど、それ以上に、ママがえるに合う仕事を神様が用意していると思う。それが、いつになるかわからないけど、きっとそうなんだと思う。
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by kokaeru2 | 2007-08-02 22:34 | クリスチャン

EnvyとJealousy

教会のことは、また後で書こうと思っているのですが、先日の日曜日のメッセージは、いろいろ考えさせることもあったので、ちょっと、書いてみようと思います。
日曜日の教会のメッセージは、EnvyとJealousyについてでした。聖書の箇所は、コリント人への手紙 第一、13:4「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。」この中の、「ねたみ」についてです。英語では「envy」と訳されています。聖書ではenvyしか出てきませんが、牧師は、envyとjealousyの両方を使っていました。envy もjealousyも罪です。聖書での罪とは、別に法律に関わる罪のことを指しているわけではありません。日本語では、「罪」と訳されましたが、原語の意味では「的外れ」と言う意味です。神の聖さ、正しさの基準から外れている、と言うことです。この「ねたみ」は、案外、多くの人の心の中にあるものではないでしょうか。他人と比較して、自分の方が本当は出来るのに、正当な権利を受けていない、と思ってしまうこと。ママがえる自身、身に覚えがあります。何で、私の方が、給料が安いんだ、とか、何であの人が助教になれて、パパがえるはなれないのか、などなど。程度の差はあれ、他の人をうらやましく思ったことがあると思います。ママがえるの場合、一度他人をうらやましく感じて、自分を悲観的に思ったり、自分の運命を嘆いてしまう。そして、その度合いが増して、ネガティブサイクルからなかなか抜け出せない。抜け出したように思えても、手を変え、品を変え、ネガティブサイクルに陥ってしまう。そんなときの自分の感情は、何とも言えない。法律的に、悪いことはしていないけど、とてもいいことをしているときの、すがすがしさとは正反対のものだ。どうやったら、抜け出せるのか。メッセージの中では3つの点を上げていました。
1.A changed focus – the kingdom of God
2.A changed attitude – gratitude
3.A changed perspective – contentment

一つ目は、焦点を変えなさい。自分と他人を比較するのをやめて、神様のことを思う。神様なら、どうされるのか、と考えるようにしてみる。
二つ目は、態度を変える。一番難しそうですが。感謝の気持ちを持つ。聖書の他の箇所にも出てきますが、どんなときでも感謝しなさい。
三つ目は、視点を変える。満足する。
これら三つは、互いに関係があると思います。視点を変えて、主を見上げることによって、また、ねたみという罪を告白することによって、赦され、すると、今の状況にも神様に感謝する気持ちも生まれ、神様から、与えられているこの状態に満足できるようになれるのでは。
正直を言うと、言うのは簡単だけど、気持ちはなかなかついてこない。ちょっと、油断すると、再び、ネガティブサイクルに陥ってしまう。けど、その度に諦めずに変われるように祈っているような気がします。劇的に、とは言いませんが、ちょっとずつ、気持ちが軽くなるような気がするのも事実です。パパがえるの仕事が決まるまで、「なんでよ、なんでよ。」と言う気持ちになってしまいますが、ネガティブサイクルの中にいると、気持ちも暗くなるし、考えていることも暗くり、すべての面においてよくない。このサイクルから長い間抜け出せるようになりたいものです。神様、よろしくお願いします。
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by kokaeru2 | 2007-07-24 22:09 | クリスチャン